1950年代初頭、キャプテン・モルガンブランドは、人々の嗜好の変化とキューバリブレ(“キューバの自由”という意味のラムとコーラのカクテル)の流行にあわせて、世の中に浸透していきました。
以来、長年に渡って英国、カナダ、南アフリカをはじめとした30カ国以上で愛されてきたましたが、米国ではまだ無名に近かい存在でした。しかし1984年、スパイスト ラムが登場してからラムを取り巻く世界は「新世界」へと変わってきました。
モルガン船長の大いなる伝説
1635年ウェールズに生まれ、「新世界」にあふれる富とスリルを求めて、モルガン船長は船出しました。
キュラソーからパナマ、ジャマイカを越え、モルガン船長の海賊冒険譚はカリブ海にとどまらず世界に語り継がれています。
のちに大英帝国軍の軍事参謀として、また精神的な支柱として活躍していたモルガン船長には、荒くれた海賊どもでさえ忠義をもって従い、さらには帝国の重鎮や貴族達も尊敬の念を惜しまなかったといわれています。
1674年国王チャールズ二世は、モルガン船長の大英帝国に対する献身的な貢献を称えて、彼にナイトの爵位を授与。1680年にはジャマイカ島代理総督にまで就任します。
その親しみやすさと寛大さでポートロイヤルの町中の酒屋と酒場で人気者だったモルガン船長が息をひきとったのは1688年。盛大な国葬をもって見送られました。
しかし彼の伝説はいつまでも生き続けています。
モルガン船長の意気を継ぐラム
モルガン船長の遊び心と冒険好きは語り継がれています。
働き者の手下たちも同じ心意気でモルガン船長と楽しみを分かち合いました。
ラムが英国海軍の正式配給品となる何十年も前、モルガン船長の船では既にラムの配給が行われていたといいます。
実業家として、またジャマイカ島代理総督として活躍していたモルガン船長にとって、彼の名「ヘンリー・モルガン」を冠したラムが生まれたのはごく当然の成り行きです。
当時のキャプテン モルガン ラムは壷を使う伝統的製法で製造されていました。
息巻く海賊どもや冒険家達はそうしたラムをストレートやライムジュースとともに飲んでいたと伝えられています。